top of page

開催記念特別対談

美は遺伝する 江戸のDNA

江戸の美意識

脈々と受け継がれてきた、先人たちが残した「美」の世界

​受け継がれた伝統技術

 

山 田 第12回の開催を記念して「EDO ART EXPO」立ち上げにご尽力くださった、株式会社アダチ版画研究所の安達以乍牟会長とお話をさせていただきます。
 会期中に浮世絵展示会場に飾られる浮世絵版画は、貴社のお力添えによりコレクションできました。まずは、貴社の沿革やご自身の経歴についてお聞かせください。

安 達 弊社は、私の父である初代・安達豊久が浮世絵版画の魅力を正しい形で世に伝えていきたいという願いで、復刻版の制作・出版・販売を目的に1928(昭和3)年に創業いたしました。当時は江戸時代の浮世絵版画の優品の多くは海外に流出していて、日本でオリジナルに触れる機会は稀でした。それ故に海外で発行された売立目録などを主に復刻の資料にしながら、制作にあたっておりました。その頃は弊社の工房に一流の技術をもった彫師や摺師が通い、弊社は版元の立場で日々の仕事の状況を確認し指示を出すというスタイルを確立しました。
 しかしながら、第二次世界大戦の東京大空襲により苦労して集めた資料や、それまでに制作した版木の全てを焼失してしまいます。事業再建の道のりは困難を極めたものの、焦土と化した東京周辺では破壊されたカラー印刷機に代わり木版技術に白羽の矢が立てられ、香水瓶のラベル、日本企業の欧米向けのクリスマスカード、海外渡航用客船の食事メニューなどのご依頼をいただきました。そして、国内外の多くの協力者にも恵まれ、消失してしまった資料の収集とともに、復刻事業の再開に何とかこぎつけました。
 私自身は1945(昭和20)年からこの仕事に携わり、父の他界した1982(昭和57)年に代表に就任し、その遺志を継いで事業に注力し現在に至っております。

山 田 江戸時代の浮世絵版画は流行や売れ筋を考慮した、今の出版社や総合プロデュサーのような役割の版元から依頼を受けた絵師が版下絵を描き、それを元に彫師が小刀や鑿(のみ)などの道具を使い分けて彫った版木に、摺師が一色ずつ馬連(ばれん)を用いて和紙に摺り重ね仕上げるという四者による分業でした。通常は各職人が独立して個別に作業をしていますが、貴社では職人を一つ屋根の下に集める独自の工房スタイルをとっていらっしゃいます。これまでに1200種類以上の浮世絵版画の名作を復刻してきた中で、どのような信条で従事されたのでしょうか。

安 達 弊社では江戸時代と変わらない木版が持つ独自の深い味わいが表現できるように、厳選した素材と道具を使用しています。木目が細かく硬い素材の山桜の版木や水性の絵具、殊に人間国宝・岩野市兵衛氏が楮(こうぞ)100%で漉いた越前生漉奉書紙(えちぜんきずきほうしょし)は、独特の鮮やかな発色と柔らかな風合いを生み出すのに欠かせません。
 併せて、工房スタイルをとることにより、それぞれの作業を確認し細かい修正ができる環境を作り出し、最もこだわってきた作品の完成度を高められます。

江戸からの技を繋ぐ

山 田 世に出回った大量の浮世絵版画の中でも初めに摺った数十から数百の「初摺」は、絵師の創意が凝らされ彫師や摺師の技量が最も反映すると伝えられ、先代の制作ポリシーはこの「初摺に忠実であること」だったと伺っています。創業時から情熱的に取り組まれた写楽作品の全142図の復刻が完成し、全図を一堂に展観した際には、その高い技術力が評価されたとお聞きしております。
 また、新たに伝統木版の技術を用いて東山魁夷、平山郁夫、加山又造ら著名な日本画家の作品を浮世絵版画になさっています。特に、加山先生は制作プロセスの中で「私の描いた線が、彫師によって彫られ、摺師によってごく淡く薄い墨線として摺られる。そしてこの墨線が全てのもととなり、作品として形作られていくのは、とても興味深いです」とおっしゃられ、肉筆作品とは相異なった版画の表現に興味をお持ちになったようですね。

安 達 おかげさまで1984(昭和59)年に先代の悲願「アダチ版 東洲斎写楽」展を銀座で開催した折は、オープニングの前にお客様がお待ちになるほどの人気でした。多方面の方々のご支援ご協力があり、その後は全国を巡回させていただく機会を得て、今でも感謝の念に堪えません。
 さらに、現代作家の肉筆作品を版画に仕上げる仕事について申し上げれば、これはとても困難な作業で、中でも絵具は浮世絵の復刻で使用するのとは異なり、何もかも分からない状態での試行錯誤の連続から始まりました。幾度も校正を摺り、落とし所をさぐるのですから我々も大変でしたが、先生方もよくお付き合いしてくださったと思います(笑)。今になって振り返れば、現代では希薄になってきた人との繋がりが深かった、昭和という良い時代の為せる業だったのでしょう。 

山 田 貴社が母体になり1994(平成6)年に(公財)アダチ伝統木版画技術保存財団を創立してから、本年で25周年の節目を迎えられました。その間に理事長職をお務めになられ、多々ご苦労があったと拝察いたします。

安 達 近年はデジタル印刷技術の発展により木版の需要が減り、その技能を担う人材も減少傾向にあります。私どもは各種の事業を通じて、日本が世界に誇る伝統木版画の技を後世に伝えるために、技術の保存、後継者の育成、啓蒙普及の3つの柱を掲げ、さまざまな活動を続けてまいりました。特に啓蒙活動では、今後も国内はもとより海外でも実演会や体験教室を開催し、多くの方々に伝統の技を広めていきたいと考えております。

山 田 街を巡りながら浮世絵版画の魅力を身近に楽しんでいただくEDO ART EXPOが、貴団体の活動の一助になれれば大変に嬉しく思います。毎回にわたり会期中に実施している来訪者へのアンケートの感想には、「江戸から続く良き日本の文化を再認識した」「浮世絵が鮮やかでとても美しかった」「実際の浮世絵が間近で見られ楽しかった」「毎秋のイベントとして定着した感があり今後も期待している」などの声が多く寄せられ手応えを感じています。今年のテーマは2020年に東京で開催するオリンピック・パラリンピックを記念して、「浮世絵で彩る江戸・TOKYO」といたしました。日常のTOKYOの風景に、会場に飾った葛飾北斎や歌川広重が描いた名所絵(風景画)を重ね、江戸に想いを馳せることで、来訪された方々が江戸から続く伝統や文化、芸術に親しみ、見つめ直す機会になっていただければと思っております。

 

 

浮世絵版画の魅力

 

山 田 江戸時代の浮世絵版画は鑑賞のみならず教育や情報の伝達、流行のファッション誌、ブロマイドなどの役割も果たし、江戸庶民の文化として発展しました。美しく鮮やかな色調でオリジナリティに溢れながらも、静寂な詩情とダイナミックさを併せ持つ浮世絵版画は、海を渡り西洋のアーティスト達を触発し、素晴らしい逸品を創出するきっかけにもなりました。
 安達さんは、時代を超え国籍を問わず人々を魅了し続ける浮世絵版画について、どのようなご考察を持っていらっしゃいますか。

安 達 おっしゃるように浮世絵版画が、どの時代でも誰にでも好かれるのは日本文化に見られる「省略美」や日本独自の素材から生み出された「軽さ」によるものでしょう。
 浮世絵版画は元々は大量生産の商業印刷ゆえに、制作過程に採算性や効率性が求められ、例えば使う版木の数も5枚前後と決まっていたので、絵師はその制約の中で版下絵を描いたのです。ゆえに京都の高山寺に伝わる国宝の絵巻物・鳥獣人物戯画から現代の漫画に至るのと等しく、浮世絵版画の手法には無駄な細かい線がなく単純明快に表現されています。
そして、油絵のように絵の具を上に塗り重ねる技術とは異り、日本独特の素材である和紙に水性の絵具を馬連で決め込んで、発色させ生み出す軽さが他にはない特徴であり、浮世絵の魅力だと考えています。

山 田 それは浮世絵版画がもたらす描線、色彩、構図によって誕生した「省略の美しさ」でもあり、日本人ならではの美意識が育んだ美学と言えますね。今後も我々が先人から受け継いだ「江戸のDNA」の魅力を多種多様な形で、国内外に向けてお伝えしていく所存でございます。

キャプチャ4.JPG

ロイヤルパークホテル5階にある庭園にしつらえた茶室「耕雲亭」は、三菱の岩崎彌之助、小彌太の父子二代により設立された静嘉堂文庫(東京都世田谷区)にあった茶室「釣月庵」を模したものです。

キャプチャ5.JPG

公益財団法人アダチ伝統木版画技術保存財団 理事長

安達 以乍牟

 

1930年 東京に生れる
1945年 アダチ版画2代目として創業者安達豊久のもと、この仕事に携わり始める
1982年 アダチ版画研究所 代表に就任
1994年 (公財)アダチ伝統木版画技術保存財団を設立 理事長に就任

キャプチャ6.JPG

EDO ART EXPO総合プロデューサー

山田 晃子

 女子美術大学付属中学校・高等学校卒業、女子美術大学芸術学部芸術学科卒業
EDO ART EXPO総合プロデューサー、日本橋美人推進協議会プロデューサー、
NPO法人 東京中央ネット副理事長、株式会社ヤマダクリエイティブ代表取締役、
学芸員資格保持者 ほか  

■著書:「日本橋美人」 ほか

キャプチャ2.JPG
キャプチャ3.JPG
キャプチャ1.JPG

撮影協力 : ロイヤルパークホテル

撮影 : 小澤正朗

ヘアアレンジ・着付 : 林さやか

衣 装 : きもの工房 まつや

bottom of page