開催記念特別対談
美は遺伝する 江戸のDNA
江戸の美意識
脈々と受け継がれてきた、先人たちが残した「美」の世界
日本文化の魅力
山 田 第11回EDO ART EXPOの開催を記念して、松竹株式会社の大谷信義会長と日本の伝統や文化、芸術などについてお話をさせていただきます。まずは、ご職歴についてお聞かせください。
大 谷 私は1968(昭和43)年に入社以来、主に映画の宣伝、配給、製作などに携わり、現職に就いてからは弊社の三本柱である演劇・映像・事業部門を統括しています。1984(昭和59)年に株式会社歌舞伎座の社長に就任後は、歌舞伎が中心の演劇関連にも従事するようになりました。ただ、双方ともに興行に係わることがなく、お客様と接する機会に恵まれなかったので、少し愛想がないかもしれません(笑)。
山 田 お力を注がれた壮大なプロジェクト、第五期歌舞伎座の開場から5年が経過いたしました。併設した地下2階地上29階の歌舞伎座タワー(オフィス棟)とともに複合施設「GINZA KABUKIZA」に生まれ変わり、皆様の期待に応えた銀座の街の新しいランドマークとして賑わいが創出されています。
大 谷 再建の最大の理由は建物の老朽化ですが、個人的には幼少の頃から母に連れられ通った劇場なので、寂しい気持ちがありました。皆様に60年に渡って親しまれた歌舞伎座の雰囲気を再現し、その文化を踏襲しつつ施設に最新の機能や安全、利便性を備えるという課題を克服できたのは、匠による伝統の技と最先端技術の融合に支えられたおかげです。3年の歳月をかけて新開場した歌舞伎座には、「今後も多くの方々に愛され続ける場にしたい」という関係者の願いが込められています。
山 田 歌舞伎は祖・出雲阿国が創始した「かぶき踊り」にあるとされ、400年以上の歴史を持つ演劇で、1965(昭和40)年に重要無形文化財に指定、2008(平成20)年には無形文化遺産の代表一覧に記載された日本の伝統芸能です。近年はスーパー歌舞伎などの新風が吹き、歌舞伎界では伝統を継承しつつ時代に合わせた新たな創造が続けられ、ファンの裾野が広がっています。今後の展開について、どのようなお考えですか?
大 谷 歌舞伎そのものが江戸時代から続く一種の大衆娯楽の延長にあることには何ら変わりませんが、伝統に固執した演劇というのではなく主体的、もしくは他のジャンルの芸術に触発され変化する場合も出てくるでしょう。どのような形態にせよ基本に歌舞伎があり、それを育て継承していくのが使命だと感じています。歌舞伎座については、代表的な演目から新作歌舞伎に加え復活狂言なども上演し、「歌舞伎の殿堂」と称されるにふさわしい使い方をしたいと考えています。
「歌舞伎」と「浮世絵」の美
山 田 歌舞伎と浮世絵は、どちらも江戸時代中期に庶民生活の中で華が開きました。歌舞伎人気と呼応するように役者絵が浮世絵の一つのジャンルとして確立され、美人画に匹敵するほど好評を博しました。役者絵は今で言う俳優のブロマイドのような存在であり、歌舞伎ブームを支えた広告メディアの役割も果たしたと考えられています。この二つの舞台芸術と絵画芸術には「江戸の美意識」が凝縮されているのではないでしょうか。会長ご自身も「歌舞伎と浮世絵は江戸時代の人々が持っていた美的感覚の結晶」とおっしゃられていますね。
大 谷 ずいぶんと生意気なことを申し上げたようですね(笑)。素晴らしい浮世絵の作品群の中でも女性が主流の美人画は、美しく魅力的な女性美を追求しているのに対し、男性が演じる女形は歌舞伎でのみ享受できるエンターテインメント性も加味されています。写楽の役者絵は違いますが。
山 田 写楽は役者がどのような役を演じていても美化せず、デフォルメした画面の中に役者の欠点や老化をありのままに写しました。花形役者の顎骨やシワなどを生々しく描写したので、当時の歌舞伎ファンはもとより江戸の人々からは評価を得られず、写楽に肖像画を描かれるのを好まない役者もいたといいます。特に女形にとっては望ましくありませんね(笑)。
伝統文化の尊重
山 田 今年のEDO ART EXPOは1889(明治22)年の歌舞伎座開場から130年を迎えたのを記念し、浮世絵展示会場で「浮世絵に描かれた役者たち」をテーマに展示を展開します。同時に催す「第7回東京都の児童・生徒による“江戸”書道展」は4,000点以上の応募作品の中から71社のスポンサー企業が賞を授与してくださった381点を展覧いたします。
歌舞伎座タワーの「歌舞伎座ギャラリー」がEDO ART EXPOの関連展示会場に、B2階木挽町広場、1階シャトルエレベーターホール、5階フロアーなど歌舞伎座タワー内に3箇所の書道展会場を設置するなど、貴社とグループ会社からは多方面のご尽力をいただいています。
大 谷 歴史のある江戸三座の守田(森田)座の流れを汲む歌舞伎座がこの地に誕生して以降、地元と常に密着した関係にあります。地域の活性化に寄与するのは劇場が果たす役割の一つですから、弊社施設が多角的に活用され社会に貢献できる一端を担えるのは意義深いことです。
山 田 歌舞伎座の正面玄関の両側には、役者絵の描法を確立した鳥居派の絵師が300年以上前から今も変わらず看板絵を手掛け、江戸時代の芝居小屋を思わせる雰囲気を醸し出しています。これらの絵は昼夜の演目ごとに主な登場人物を配し、ストーリーの一端も垣間見ることができます。EDO ART EXPOで来訪されるお客様には、是非、絵看板もご覧になって欲しいですね。
また江戸書道展は決められた題目がなく「江戸から連想する言葉」と“東京2020大会”に向けて、世界の国々を知る契機になるよう「世界の国々を漢字で書く」を題材にしています。子供たちの自由な発想で表現できる点で高い評価を得て、回を重ねるごとにご協力の企業が増え感謝しております。応募作品の中には「歌舞伎」に続いて「歌舞伎座」「勧進帳」「娘道成寺」などの作品も見られました。書道を始めとした芸道を学び自己表現力を高めるように、環境や教育により伝統や文化、芸術が身に付き、個性や感性が磨かれるというのは大切な事柄です。
我々が先人から受け継がれた「江戸の DNA」を継承するために、今後もさまざまな取り組みを続けていく所存です。
大 谷 「自国の伝統や文化を尊重しないと国の勢いが失せる」というのが私の持論です。私以上の世代が幼い頃には、日々の生活の中に日本独自の文化が当たり前のように溢れていました。国際化が加速する今日だからこそ、我々は日本の文化にもう一度、目を向けて自ら接する機会を増やす必要があるでしょう。
そういう意味では、これらの事業をお手伝いする機会を得て、皆様のお力の一助になれれば嬉しく思います。
ロイヤルパークホテル5階にある庭園にしつらえた茶室「耕雲亭」は、三菱の岩崎彌之助、小彌太の父子二代により設立された静嘉堂文庫(東京都世田谷区)にあった茶室「釣月庵」を模したものです。
松竹株式会社 代表取締役会長
大谷 信義
株式会社歌舞伎座 代表取締役社長、NPO法人東京中央ネット 相談役
1968 年
慶應義塾大学法学部卒
同年
松竹株式会社入社
1984 年~
株式会社歌舞伎座 代表取締役社長
1998 年
松竹株式会社 代表取締役社長
2007 年~
松竹株式会社 代表取締役会長
EDO ART EXPO総合プロデューサー山田 晃子
EDO ART EXPO 総合プロデューサー
日本橋美人推進協議会 プロデューサー
NPO法人 東京中央ネット 副理事長
一社) 日本江戸クラフト協会 副会長、
(株) ヤマダクリエイティブ代表取締役
学芸員資格保持者 ほか
女子美術大学芸術付属中学校・高等学校卒
女子美術大学芸術学部芸術学科卒
■著書:「日本橋美人」ほか